講師のことがもっとわかるQ&A


「flow flapの先生ってどんな人?」と気になった方はご覧下さい。(^-^)

 

Q1. ピアノを始めたのはいつ?

 

A.小学校1年生の時。

先に兄が習っていたのを見て「お兄ちゃんばっかりなんかズルい!」と言って自分も対抗心から始めたわけですが、正直この時点ではピアノそのものに魅力を感じていたわけではなかったように思います。

 

Q2. ピアノを辞めたことはある?

 

A. 小学生の間に2回あります!(笑)

1回目は小1のピアノを習い始めてわりと間もない時期。

母親「練習しないなら辞めなさい!」

私    「じゃぁ、やめる!!」

というやり取りで、あっさり1度辞めました。(^ ^;;

でも、すぐに後悔して同じ教室ですぐに再開。

 

2回目は辞めたというより、辞めさせられました。

近所に住む親戚の叔母の教室で習っていたのですが、私が小3の時、親同士が祖母の介護問題で揉めてしまい…。

拗れた末に辞めさせられてしまいました。

 

自分でもどんどん上達しているのを実感出来ていて「楽しい!」と思っていた時期だったので、大人の都合で急に辞めさせられたことに相当なショックを受けました。

それで一旦は音楽を嫌いになりました。(正確には、嫌いだと思い込もうとしました)

ピアノも全く弾かなくなりました。

 

しかしピアノを全く弾かなくなると、母親が「もうピアノ弾かないんだったら捨てるよ」と言い出しました。

反射的に「やめて!!」と泣きながら訴え、弾かないとピアノを捨てられるという危機感から、いろいろ親の態度に思う所はありつつも再びピアノの蓋を開けたのでした。

 

そこから次第に好きな曲を気ままに弾いたり、ピアノを習っている子を差し置いて学校で合唱の伴奏を任されたりするようになった私の様子を見て不憫に思ったのか罪悪感を感じたのか…?両親が別の教室を探してくれ「もう一度習ってみる…?」と言ってきました。

 

言われた瞬間は「無理矢理辞めさせといて何を今更…!!」と、怒りの感情も湧いてきたのですが、わざわざ教室を探して既に先生とも話をつけてくれていた親の心情もなんとなく伝わって来て、いろいろ思う所はありつつも、とりあえず乗っかってみることにしたのでした。

 

というわけで、数年のブランクを経て小学6年生になる少し前ぐらいのタイミングでピアノを再開することとなりました。

 

結局そこからは一度も辞めることなく現在に至るまでピアノを続けています。

私には音楽が必要だと見極めてくれた両親には、いろいろ思う所はありつつも本当に感謝しています。

 

 

Q. 好きな音楽のルーツは?

 

A. ズバリ、「渡辺美里」です!(今となってはご存じない方も多いかもしれませんが…)

ドラマ主題歌だった「My Revolution」でドハマりし、小学生の頃から自分のお小遣いでファンクラブに入会するほどの熱狂ぶりでした。

初めて自分で購入したアルバム(当時はカセットテープでした^ ^;;)も渡辺美里、初めて行ったライブも渡辺美里でした。

ピアノでも沢山練習しましたし、今だに渡辺美里の歌だったら歌詞を見なくてもほとんど歌えると思います!

 

Q. 好きなクラシックの作曲家は?

 

A. 音楽性に強い共感を覚えるのはブラームス。

あとは、「この作曲家が好き」というよりも「この作曲家のこの曲が好き!」というパターンが多いです。

基本的に鬱々とした重くて暗~い雰囲気の曲が大好きです。(笑)

 

Q. 好きなアーティスト・バンドは?

 

※マニアックなものが多くて大変恐縮ですが…

A. 世界一好きなバンドはDIZZY MIZZ LIZZY(デンマークのロックバンド)

HAKEN(ヘイケン)というイギリスのプログレッシブロックバンドもここ数年ハマっています。

最近衝撃を受けたのは、藤井風。

基本的には声が魅力的な女性シンガーの歌を聴くのが好きで、洋楽だとトーリ・エイモス、コリン・メイ、サラ・ガザレク、邦楽だと区麗情、小川美潮、小谷美紗子、赤坂由香利(ジャズシンガー)あたりを相当聴き込みました。 

 

Q. 影響を受けたアーティストは?

 

 A. 私を「プログレッシブ・ロック」の世界へ導いてくれたDream Theater(アメリカのロックバンド)

曲作りをする上で影響を受けたのはトーリ・エイモス(アメリカの女性シンガーソングライター)

弾き語りのスキルを磨く上での教科書的存在だったのは、辛島美登里、小谷美紗子、キャロル・キング

ニューエイジ系(もはや死語?)ピアニスト&作曲家の中村由利子の楽曲が大好きで、10代の頃楽譜を買い漁って大量に弾きまくったことで、ポップス系の曲をピアノソロアレンジする上でのセンスやスキルが身についたと思います。

 

Q. 子供時代の音楽との関わり方は?

 

A. ピアノに関して言えば、小学生の頃はレッスンの課題曲よりは当時のヒット曲やゲーム音楽などを耳コピして弾く時間の方が多かったかも。(そもそもレッスンを受けていない時期が長かったこともあり)

高学年ぐらいになると、楽器屋に行けばクラシックだけでなく自分が好きな歌手のピアノソロ楽譜なども手に入るということがわかり、親に度々楽譜を買ってもらってはお気に入りの曲を弾いて悦に入っていました。

レッスンの課題曲もそれなりに真面目に取り組むようになったのは中学生以降からかもしれません。

 

ちなみに、とても内弁慶な性格だったので、レッスンの時は先生の言う事に対して「はい」という返事以外はほとんど話せないタイプの生徒でした。(^ ^;

 

小学校低学年の頃からテレビの音楽番組を見るのが大好きで、イントロクイズがめちゃくちゃ得意でした。

小学生時代は、毎週日曜に東海ラジオで放送されていた「全日本歌謡選抜」という50位から1位までのトップチャートが聴ける番組の熱狂的なリスナーで、用事がある日以外は放送中の3時間、ずっとラジオの前にかじりついていました。(今思えば、ちょっと変わった子供だったかも…^ ^;;)

 

小6当時、世間は「イカ天(「イカすバンド天国」という、バンドのオーディション番組)」ブームだったこともあり、クラスの友達とバンドを組んでいました。

と言っても、大した活動が出来たわけではなく…。(UNICORNの「大迷惑」を手持ちの楽器でちょっと合せてみたぐらい^ ^;;)

でも人生初の作詞・作曲に挑戦し、オリジナル曲はいくつか作っていました。

 

中学入学以降もしばらくはメンバーと「創作ノート」をやり取りし、共同作業で曲作りをしていましたが、徐々に自然消滅してしまいました。。。

 

Q. 中学・高校では音楽系の部活に入っていたの?

 

A. 中学ではバドミントン部、高校では硬式テニス部に所属していてバリバリの体育会系でした。(テニス部では副部長でした)

 

本当は中学の時に吹奏楽部に入りたかったのですが、当時荒れ気味だった中学…そこでの怖い先輩方が多数吹奏楽部にいた上、ちょっぴり目を付けられていたこともあり怖気づいて入部できず…(^ ^;;

 

ただ、部活に明け暮れる日々は本当に充実しており、バドミントン・テニス共にそれなりの成績も残すことができ、大きな達成感も得ることが出来たので、結果的にはとても良い選択だったと思っています。

 

Q. 子供の頃の将来の夢は何だった?

 

A. 小学生の頃はピアノを弾く以上に漫画を描くことが大好きだったので、絶対に漫画家になりたい!!と思っていました。

自分のお小遣いで漫画の描き方が学べる通信講座を受講してみたり、本格的な画材を買い集めていくつも作品を作ったり…結構真剣に取り組んでいました。(実は、雑誌「りぼん」に作品を投稿したこともあります/笑)

 

その後、雑貨屋さん経営→ピアノの調律師…と夢は変化していき、最終的には音楽の道を選ぶこととなりました。

 

Q. どんな演奏活動をしていたの?

 

A. 大学の軽音部での活動がバンド活動のキャリアのスタートでした。

キーボーディストは意外と重宝がられる存在だったので、他大学含めいろんなバンドに声を掛けて頂き、ビートルズ、THE YELLOW MONKEY、UA、Dream Theater等のコピーバンド、そして自分がリーダーとなって結成した洋邦女性ヴォーカルもののカバー&オリジナルをやるバンド…など、本当に忙しく活動していました。

 

軽音部では部長も務めていたので、バンド活動だけでなくライブの企画や運営も担っており、大変ながらも最高に充実した日々を送っていました。

 

大学卒業後、「セッション」というものの存在を知り、東京で開催されていたロック系のセッションに参加したことをきっかけにドップリとその楽しさにハマり、その後も大阪、仙台、福岡…とセッションに参加するためだけにあちこち飛び回っていました。

 

そのうちジャズ系のセッションにも参加するようになり、それだけでは飽き足らず自分でもセッションを企画・主催するようになり、岐阜や名古屋で開催したセッションに全国各地から参加者が集まってくれました。

 

ロック系のセッションで知り合った人に誘われ、東京在住のメンバーと共に8年間ほど東京を拠点としたバンド活動も行っていました。

月1回のペースで岐阜(結婚後は岡崎)から日帰りで東京に通い、リハーサルで使用するキーボードもその都度スタジオまで宅急便で送り…と、今思い返すとよくあんなハードな生活を続けられたな…と、我ながら感心してしまいます。

バンドメンバーからも「サイボーグ」と呼ばれていました。(笑)

 

そのバンドは諸事情により残念ながら解散となってしまいましたが、その後は当時勤務していた岡崎の音楽教室で知り合った講師仲間とお洒落系ポップスを演奏するバンドで活動していました。

 

元々かなり内向的だった私が、音楽が絡むと不思議と積極性を発揮でき、音楽を通じてビックリするほど人脈が広がりましたし、同時に自分の世界もグンと広がりました。

 

Q. ピアノ講師を始めたきっかけは?

 

 A. 大学卒業まで習い続けていた教室の恩師から、「私の友人講師で人手不足で困っている人がいるから、アルバイトで教えてみない?」とオファーを頂いたことがきっかけです。

 

正直この段階では子供にピアノを教えるということに全く興味がなく、恩師からの思いがけないオファーに大変戸惑ったのですが、「人に教えることは自分のスキルアップにも繋がる」と考え、思い切って引き受けることにしました。

 

 

Q. 音楽とは関係ない職業に就いたことはあるの?

 

A. あります!

在学していた大学の情報系の授業でお世話になっていた教授にPCスキルの高さを買われ(今ではすっかり疎くなってしまっていますが…)、ヘッドハンティングされる形で某大学の研究所のようなところで岐阜県の生涯学習及び文化的資料のデジタルアーカイブ化等に関する事業に携わっていました。

 

ピアノ講師のお仕事も継続しながら、OL生活も送る二足のわらじ状態でした。

市民講座でパソコン初心者の方にワードやエクセルを教える講師を務めたこともありました。

 

正直この時期は、自分の人生設計が定まらず、どういう道を歩むべきか決められずにいました。

大好きだった音楽も、それ一本でやっていこうと思えるほどの実力も勇気も覚悟もない…という中途半端な状態。。。

 

そんな折、少しでもスキルアップに繋がれば…と仕事帰りに趣味のつもりで習い始めたジャズピアノ。

1ヶ月ほどレッスンを受けたタイミングで、ジャズピアノの恩師から「あなたさ、仕事で弾いてみる気ない?」と誘われたことをきっかけに、世界が一転します。

その恩師が仕事で演奏しているお店に夜な夜な足繁く通い、修行生活がスタートしました。

(お客さんが少ない時間などにお店専属のバンドの中にまぜてもらい、ジャズだけでなくあらゆるジャンルの大量な楽曲を初見でどんどん演奏するということをひたすらやっていました)

 

その中で少しずつ演奏のお仕事を回してもらえるようになり、お昼の仕事との両立が難しくなってきたことと、「やっぱり音楽の道に進みたい!」という明確な気持ちが芽生えたことにより、研究所の仕事は退職することとなりました。

 

その後、決して平坦な道のりではありませんでしたが、なんとか講師業と演奏のお仕事の二本立てで生活が出来るようになっていきました。

 

Q. ピアノ以外で演奏できる楽器は?

 

A. まずはキーボード(シンセサイザー)。

「ピアノが弾ける人なら弾けるんじゃないの?」と思われがちですが、サマになる演奏をしようと思ったら、ピアノとは全く別の楽器として別の努力が必要だということを身を以て知りました。

 

大学時代にはアコースティックギター・エレキギター・ドラムにも手を出し、ギターやドラムでライブ出演した経験もあります。

箱型打楽器のカホンも必要に迫られて少しかじりました。

 

また、大学の授業ではマリンバのレッスンも受けていました。

小学校の教育実習時にはピアノと共にマリンバの演奏も生徒の前で披露したのが良い思い出となっています。

トレモロを奏でる時の手首の動きに生徒たちが「速ぇ!!スゲーーーー!!」と思った以上に興奮&感動してくれた様子に、私も感激しました。

 

ピアノ以外の楽器を多少なりともやってみたことで、アンサンブルや曲作り・アレンジなどにも大いに役立っています。